HIPHOP

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90's JAPAN HIP HOP

90年代初めには元「ファンキージャム」こと、「D.M.A」が『What's Up vol2』を出版・また横浜ベイサイド・クラブ、川崎クラブ・チッタなどでニュージャックの這う通とブレイクダンスやソウルのショーなどを披露する。
またこの頃アーティストとして頭角を見せ始めていたMC仁義、MURO、B-FRESH、RHYMESTER、MELLOW YELLOWなどがおり、ダンス番組として「Club DADA」・「Dance Dance Dace」・「ダンス甲子園」なども始まった年でもある。
またZOOがJR東日本とのタイアップタイアップもあり全国的に大ヒットとなり、ヒップホップシーンのファッションを取り入れるなど、若者達のカリスマ的存在へと上がっていった。
「DA・YO・NE」(EAST END×YURI )・「今夜はブギーバック」(スチャダラパーと小沢健二)などの楽曲が大ヒットすると世間一般にもラップミュージックが認知されるようになり、後の「Dragon Ash」・「RIP SLYME」や「KICK THE CAN CREW」などの新しいスタイルを持ったユニットの誕生へと繋がる、更なる躍進を迎えた年代でもある。
だが、80年代と比べると、シーンの停滞が否めない年でも有り、90年代前半においてはヒップホップシーンのカリスマ的存在が多く来日するも、その存在が徐々に栄華の80年代と比較しても陰りを見せることが多くなる年とも言えなくない。
90年代半ばから後半にかけては、「ラッパ我リヤ」・「キングギドラ」などが活動の隆盛を向かえ、ヒップホップミュージックを主にした「DA PUMP」の台頭、そしてメジャーシーンにおけるラップミュージックの立場を強固なものへと貢献した「Dragon Ash」なども、この年代に誕生を迎えた。
ここでは特に動きがあった年代焦点を当ててみる。

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1990年

DJ DOC HOLIDAYこと、須永辰緒がインディーズレーベル『Rhythm』を設立し、このレーベルにはYOU THE ROCK&DJ BEN・Gas Boysなどが参加していた。

この頃に「スチャダラパー」が「クルーリトル・バード・ネイション」を結成。 このグループは後に「TOKYO NO SOUL SET」「脱線3」などのユニットを誕生させる大きなきっかけとなる・

1991年

「ダンス甲子園」(天才・たけしの元気が出るテレビ!!)がスタートし、M.C.ハマーが来日。

1994年

EAST END×YURI の「DA.YO.NE」、スチャダラパーと小沢健二による「今夜はブギーバック」がリリースされる

EAST END×YURIの「DA.YO.NE、スチャダラパーと小沢健二による「今夜はブギーバック」がリリースされ、前者はヒップホップCDとしては初のミリオンセラーを記録、後者は50万枚の売上と、共に大ヒットを見せ、後に続くヒップホップブームの火付け役として大きく買うことになる。

1998年

日本のプロヒップホップダンサー「ENGIN#9」が、世界のブレイクダンスチームの最高峰『New York City Breakers』に正式メンバーとして加入するという偉業を成し遂げた。

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